ウメハナリレーションズは「大人が輝く背中を子どもに見せる」をモットーに、保育者のやりがい促進・継続支援・離職防止へ向けた研修をしています

私と介護ストーリー 櫻井慶子さん

放送作家を経て体のことと向き合い、現在は南千束でこころとからだの相談室をされている
櫻井慶子さんにお話を聞かせていただきました。

ダブルケア 〜私の場合〜

18才になる直前に父が脳梗塞でたおれ、半身不随になりました。
母も、同居していた兄夫婦も、オトナは全員仕事を持つ一家でしたから、私は高校生ながら父の食事や入浴の介助を当然のこととして受け持つことになりました。
それから40年近くつづく、さまざまな形態での介護に関わる生活が、その時から始まりました。
 
24才で結婚後、離れて暮らすようになっても、ことあるごとに父の世話に実家に通いました。
そうこうするうちに、近所に住む夫の祖母が体調を崩し、短い通いの介護期間を経て、私の父と前後して亡くなりました。
2人目の子どもを生んで2年足らずだった私に、あまり負担をかけたくないという一心だったかのような祖母の死でした。
 
けれどもその時がちょうどバブル絶頂期だったために、東京の土地は急騰し、一人娘である夫の母(以下、義母)は、思いもかけず莫大な相続税を負う事になり、そのショックで認知症を発症して介護状態になってしまったのです
まだ60代と若かった義母。
失われて行く認知機能と元気なカラダとの間で、どれだけの恐怖や混乱を味わったのか…。
徘徊、昼夜逆転、オムツや汚物を隠す・弄ぶといった、介護者を悩ませる認知症の問題行動といわれる症状は、ほとんど経験しました。
 
今から30年ほど前の話です。
介護への支援の仕組みも整わない時代だったために、認知症のきざしが出始めた初期に
自宅に義母を引き取り、専門外来のある大学病院に診せながらも、
当時の医学では急激に進む症状を止める対処法はありませんでした
そこで必然的に、仕事と小さな子ども2人を抱えながらの本格的な在宅介護が始まりました。
 
周囲はというと・・・
当時の都会で、若い子育て世代が、親を引き取って介護するというケースは珍しいということもあったのでしょう。
見てはいけないものを見てしまう…目を背けたい…という気持ちが、先ずあったようです。
義母の世代の人には、絶対避けたい未来の自分の姿であり、私と同世代にとっては「遠い先の不安を、先取りして見せられている」というネガティヴな感じを受けたようです。
また、自分の親ではなく夫の母親の介護をひとりで担う、というところも理解の範囲を超えていたようです。
「いい子ちゃんぶっている」と近所の同世代の人から、面と向かって言われたこともあります。
実家の兄嫁からは「不幸がうつるといけないから、しばらく実家に来ないで」と言われました。
後で、自分はそこまでできないという負い目があっての言葉だったと気づきましたが、言われた当初は、やはり深く傷つきました。
 
今のように介護保険がない時代てす。
義母を引き取ってしばらくして利用した、地域で最初にできた一時預かりの老人保健施設も、運営する人も利用する人も、みんなが初めての経験で知識もなく、すべてが手探り状態でした。
しかも、通常介護に携わるのは80〜90代の親を持つ年代ですから、60代前後です。その中で私は、30代に入ったばかり。圧倒的に若いんですね。
40〜50代の職員の方にとっては、唯一自分達より年下の介護家族。「若いんだから、預けなくてもやれるでしょう」と嫌味を言われ、子ども達の学校や幼稚園の行事の時も、預かりを断られることすらありました。
 
当時、私たち夫婦は2人で放送番組制作会社をしていて、私は社長兼放送作家として、ウィークデイは週6~7本の締め切りを抱えていました。
それに加えて、幼児の世話や子どもの勉強をみるという、母親として一番忙しい時期でもありました。
そこに、徘徊する認知症患者の在宅介護と、義母が負った相続税問題も加わったのです。
当然、眠る時間もほとんどない生活になりました。
肝心の夫はといえば、長時間の生放送番組を毎日抱えていて、家には寝に帰って来るのがやっと。手助けを求めるのは無理でした。
それでも、その仕事スタイルを変えることは、税務署から命じられた義母の相続税返済の不足分の負担や、自分達の生活や仕事への責任もあってできない…。
 
ジレンマの中で当時の私は、踏切で電車の通過を待っている時に、無意識にフラフラと線路に向かって歩き出しそうになる自分に気付いて、ゾッとしたことが何度もありました。
小学校低学年の長男は、そんな母親の様子に敏感で、4歳半違いの弟の世話を一手に引き受けて精一杯助けてくれていました。
それなのに私は、長男に感謝する余裕もありませんでした。
それどころか、義母の混乱行動を「病気なのだから」と怒れないストレスを、生来のんびり屋の長男を「早く、早く」と急かせたり怒鳴ったりして、爆発させてしまっていたのです。
本当にひどい母親でした。
また、義母にとっても、どんなに表面優しく接していても、私の苛立ちや疲労は当然伝わっていたのでしょう。
汚物をためる・隠すといった行為も、今思えば重い認知症で言葉すら失った義母ができた、精一杯の私への配慮だったのかもしれません。
 
そんな生活を2年半ほど続けた後に、私は40度の熱が出たまま下がらない状態になりました。
いわゆる自律神経失調症でした。
そして、介護にドクターストップがかかったちょうどそのタイミングで、私の状態を見かねた人が声をかけて下さり、なんとか義母を長期療養型の病院に入れることができたのです。
 
なぜこんな昔の話を、今になって皆さんに明かしているのかといえば…
それは私のように、子育てと家族の介護を同時に直面する「ダブルケア」をする人が、現在全国で少なくとも25万3千人はいるといわれているからです。(2016年4月28日公表の内閣府の推計)
結婚年齢と出産年齢の上昇にともない、このダブルケア現象はこれからますます増えていくことが予想されます。
しかも、男女ともに仕事をとりまく環境は厳しくなる一方です。
それなのに、介護や終末医療にかかる国費の増大を抑えるために、施設介護や介護保険の適応サービスは今後はしだいに狭められるともいわれています。
 
つまり私が経験したような、支援環境のあまりない中での「仕事➕ダブルケア」はむかし話ではなく、今後ふたたび多くの人が直面するかもしれないのです。
 
 
そこで次の章からは、私が今感じている、介護についての思いを、僭越ですが、お伝えしたいと思います。

介護の日常においての、“働く”ということ

ここ数年、介護離職が社会的な問題として注目されています。
企業も、離職しなくても済むように、できるだけの配慮をしてくれるようになりましたが、それでも様々な事情から、仕事を辞めて介護に専念する人たちが、後を絶ちません。
 
義母の介護施設の中では、仕事を辞めない私は「ダメな嫁」という目で見られていました。
確かにあの頃の私は、仕事と介護と子育てに常に追い立てられていて、どれも自分でも満足の行く内容にならないことが多く、
自分でも自分のことを「ダメな嫁」で「ダメな母」だと感じていました。
 
それでも私は、どうしても仕事を手放すことはできませんでした。
それは、経済的な理由もありましたが、
それ以上に在宅介護という先が見えず
閉塞的な状況の中で、
仕事だけが唯一、私がまだ社会とつながっていると自覚させてくれたからです。
そして仕事で得られる評価が、ダメな嫁でダメな母親であると、自分を責める気持ちから少し私を救ってくれたのです。
 
最近はシングルで親御さんを看る方も増えています。
その場合も、仕事と介護を両立することの困難さに、離職するケースが多いようです。
そういった方々が親御さんを看取った後に、元の収入レベルの仕事に戻れず苦労する話もよく聞きます。
また、もし仮に親御さんやご自身に財産や収入があって、仕事を辞めても経済的に問題がない方であったとしても、介護だけの日々を送っていると、次第に社会とのつながりを狭めてしまい、何でもひとりで抱えこみ、孤立してしまうことになりがちです。
 
そういった事態を防ぐためにも、私はできたら多くの方が、仕事を辞めずに介護ができる方法を、何とか模索していただきたいと思うのです。

これから介護に向き合う方への、メッセージ

親というのは、
自分がいくつになっても親なのです。
ですから、親が老いて、
自分の持っていたイメージが壊れるというのは、
ときに自分のアイデンティティを揺るがす
恐怖にもなります。
 
また、親の介護をきっかけに、
兄弟間で骨肉のいさかいにも発展し、
憎悪や罪悪感・しがらみ・犠牲・・・
さまざまな感情の波にもまれることがあります。
 
もちろん、介護がきっかけで
オトナになってから
疎遠だった兄弟との絆が深まって、
看取った後もそのまま良好な関係が続く
幸せなケースも多くあります。
 
でも、もしあなたが前者の場合であっても、
もしあなたが、愛情深く、
真面目で責任感の強い方でも、
どうかなるべく、
ひとりの殻に閉じこもらないでください。
どんな人も、サポートやはけ口が必要です。
介護不安が少しでも出てきたら、
いざというときのために、
最善の選択ができるように、
視野を広げて
引き出しの数を増やしておいてください。
 
大事なのは、味方を作ることです。
 
「こんな状態なんです」ということを
言葉で伝え、理解を得ていくことです。
義母の介護のときの私のように
ひとり必死で対処するといった姿勢は、
外からは状況が分かりにくく、
悪循環となり、すべて裏目に出ていました。
 
体裁が気になったり、
自分の親だからと
抱え込んでしまいがちですが、
他人には、言わなくては分からないのです。
もしかしたら相手は、あなたを助ける有益な情報や提案をくださるかもしれません。
もしかしたら、話したことで
あなたの追い詰められて孤独だったココロが癒されて
また明日から頑張る
エネルギーになるかもしれません。
コミュニケーションをちゃんと取り、
自分の状況を伝えることです。
そこからすべては、始まります。
 

仕事と介護の両立へ向けて

仕事をしながらの介護は、困難な部分がたくさんあるかと思います。
でも仕事は辞めたくない
ただ、介護も精一杯やりたいという場合は、
その気持ちを、
あきらめずに訴え続けることです。
 
ケアマネジャーの方にも、行政側にも
最初はあなたの声が届かなくても…。
 
本当は行政側も、
変わり目を迎えている家族形態や社会情勢に
「何ができないんだろう?」
「何に困っているんだろう?」
といったことが分からず、困っているかもしれません。
情報をしっかり伝えること。
誰かが声を上げていくことです。
仕事をしながら介護ができなくては
収入がなくなる人が増えるので
日本の社会としても困ります。
あきらめないで、伝えていきましょう。
仕事を辞める必要はないのです。
また、人に助けてもらう場面が
たくさんあるのは、
じつはしあわせなことなのです。
この人がいてよかった。
いい方と出会えた。
いい夫婦関係に恵まれた。
そういったつながりに感謝をし、
助けてもらいましょう。
 
私も、実の母の看取りのときは、
夫に全面的に助けてもらいました。
そのことが、義母の介護で生まれた
夫との間のミゾを埋めてくれました。
いろいろなことを言う人もいますが、
そういう人は本当はココロのどこかに
恐れや不安を抱えているのかもしれません。
だから、気にしないことです。
もし相手の言葉にキズつくことがあっても
キズついた自分を責めないことです。
そして、介護体験のある人は
うまく行った人も行かなかった人も、
その原因や結果を社会に公表して、
行政サービスの形を通して
たくさんの人が助けられる仕組みを
整えていくことが大切だと思うのです。

周りの人にできること

 
今はまだ
家族の介護とは少し距離がある方へ。
 
あなたの周りの介護する友人から
目をそらすのではなく、
あたたかく見守ってください。
そんなあなたの気配で、救われる人もいるのです。
そして、できたら声をかけて
話を聴いてあげてください。
もしも相手が何も言わなかったとしても
弱音を吐くことを情けなく思っていて、
いまは言えないのかもしれません。
遠巻きにいると、そういった状態にも
気づくことができません。
相手が話したいと思ったときに
いつでも寄り添えるように、
ぜひ、声が聞こえるところに
いてあげて欲しいのです。

お気軽にお問い合わせください TEL 03-6273-1195 10:00-17:00

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